とある日常
釣りに行きたいけど行けない。
もっと沢山行きたいけど行けない。
この現状を作り出したのは自分である。
こればっかりは自分のせいなので仕方がない。
仕方がないとは言え、釣りに行きたい思いは募るばかり。
その分、その時の自分がターゲットにした魚に思い入れが激しくなる。
魚に価値をつけるわけではない。
でも、その時のターゲットとなる魚以外の
外道が釣れて面白い、楽しいと思っても、
決して嬉しいとは言えない自分がいるのも事実。
もちろん、外道とは言え魚の扱いは丁寧に。
生理的に嫌いな魚もいるけれど、
それはそれ、これはこれ。
勿論、昔から丁寧だった訳ではありません。
子供の時はバケツに入れて触りまくっていたし、弱らせて沢山殺してしまっている。
その経験がどうすれば魚が弱るのかの学習になっていたような気もする。
が、大人になって食べない魚を釣るという行為以上に
不必要に弱らせるのはどうだろう?
そう思い、最近は偽善者的に出来るだけ丁寧に扱うようにしています。
ターゲットまでの距離が遠い(場所や投資する金額)から偉いわけでもなく。
近いからと言って見下す訳でもない。
簡単に釣れないから価値を見いだす訳でなく、
簡単に釣れるから価値が無いわけではない。
ただ、自分がその時に釣りたいと思うターゲットにした魚のみを釣った時が本当に嬉しいと思える
厄介な、いわば未成熟な精神の持ち主なのだ。
釣りがしたいだけなら、近所の川に行けば鯉に似鯉に鯰が遊んでくれる。
が、今の自分のターゲットじゃないだけなのだ。
とは言え、数度に渡り予定が流れて、
流石に我慢の限界(笑)
食パンといもねりを持って鯉に遊んで貰おうか。
そんなたわいもない事を考える木曜日の晩。
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